富士宮市議会 2021-07-05 07月05日-06号
戦時下の非常事態で特例的に認められた水利権を時代の変化に合わせ、河川維持水量をしっかりと確保できる形に権利の内容を変えること。これらに加え、静岡県に対し、富士川流域の自治体での協議会設置を行うことを求めるものであります。こうした意見書の内容は、当然採択すべきものでございます。 我々に時間的猶予は残されていません。人間は自然に生かされている。自然を壊すのは一瞬。
戦時下の非常事態で特例的に認められた水利権を時代の変化に合わせ、河川維持水量をしっかりと確保できる形に権利の内容を変えること。これらに加え、静岡県に対し、富士川流域の自治体での協議会設置を行うことを求めるものであります。こうした意見書の内容は、当然採択すべきものでございます。 我々に時間的猶予は残されていません。人間は自然に生かされている。自然を壊すのは一瞬。
賃借料ということだと思うんですが、この質問を何でしようかと思ったかといいますと、戦時下の貴重な資料だとか平和に関する資料をかなり持っていらっしゃるということ、あと、そういった情報がだんだん失われていくというところで、学校教育としても必要だし、地域の皆さんに知っていただくということでも必要な資料、情報だとは思ってはいるんです。それがあまり活用されていない現状もあると思います。
しかし、この平和観世音、今はまだ市の文化財にも指定されていませんが、戦時下の金属供出を免れた数少ないもので、そのことも含め大いに価値あるものと聞いているところであります。
その中には、太平洋戦争時の統制された市民生活の様子、戦時下の満蒙開拓のこと、第一次世界大戦から太平洋戦争までの1,823人に上る戦没者の方々のお名前、陸軍少年戦車兵学校のこと、あるいは富士宮市で起こった空中戦の様子などが取り上げられております。 市では、「富士宮市史」刊行以降も、召集令状や千人針など太平洋戦争に関わる資料の収集や調査を進めているところであります。
そこで、郷土博物館では、常設展の藤枝の歴史において戦時中の暮らしコーナーを設けまして、藤枝空襲により投下された爆弾の破片や焼夷弾の残骸など、市民から寄贈された貴重な資料を展示しまして、戦時下の本市の様子や庶民の苦しい暮らしについて紹介をしております。
第 4点は、戦時下、マルハ中島飛行機の地下軍需工場の建設と、その建設のために 3,000人にも及ぶ朝鮮人労働者の強制連行、強制労働の歴史を掛川市は持ちます。
また、第1次世界大戦から太平洋戦争、終戦に至る経過を理解する中で、広島、長崎の原爆投下、戦時下の国民生活にも着目し、国際協調と国際平和の実現に努めることが大切であることに気づかせています。公民的分野では、憲法9条を中心に、その理念を学習します。 国語では、小学校の教材で「父ちゃんの凧」「ヒロシマの傷」、中学校では「字のないはがき」「黒い雨」などの教材があります。
戦時下の体制や戦争の悲惨さ、原子爆弾やその後の放射線障害の恐ろしさなど、戦争や原子爆弾を知らない世代への語りかけという意味では、一つの役割は果たしているのではないかと思っております。 そして、ゲンの生き方を通じて困難な中でも生き抜く生命への賛歌と「人間とは」と感じさせてくれる作品だと思っております。 以上、清水議員の答弁とさせていただきます。
また、社会科だけでなく、総合的な学習の時間や道徳の時間なども利用して、戦争の経緯や戦時下における庶民の暮らしぶりなどを学んでいます。その中で、被災者や戦災遺族の方から、過酷な実体験や家族を亡くした悲しみを聞いたり、浜松市復興記念館の見学や浜松市博物館にある戦争資料を活用したりして、子供たちに戦争の悲惨さを感じさせるよう工夫をしています。
また、東南海地震は、敗戦の色濃い戦時下で発生した地震であり、厳しい情報統制もしかれておりました。このため、記録写真といったものもほとんどなく、さらに、当時と現在とは余りにもかけ離れた時代背景の中の地震であり、これを今の子供たちに説明することは至難のわざです。このため、ある方は、当時の記憶をもとにみずから筆をとり、絵画や読み物にして後世に伝える努力をしておられます。
この昭和19年の地震がちょうど戦時下にあったために、その地震の現状が広くメディアで報じられず、むしろそうしたことが伏せられていたということもはっきりしております。でありますので、一つの戦時下にあった悲しい出来事という意味では、やはり戦争をしてはいけないということの意味にもつながる、こうしたことであると思っております。
戦時下の国策によって市から取り上げられまして、その見返りとしまして当時30万株、現在では454万1,346株保有しております。これは何十年の間にだんだんふえてきたということで、その株式の配当金ですが、1株60円、12%配当。
考えてみると、私たちが子供のころ、私は戦時下の児童ですけれども、非常に本が少なかった。だから借りて回し読みをする。だから、いい本というのか、そういうのがあると非常にむさぼるように読んだという記憶があります。「母をたずねて三千里」でしたか、マルコという少年、これなんか小学校何年生だか忘れましたけれども、読みながら涙があふれ落ちて、それが心にしみたという、そういう思い出があります。
これの指導として、昭和初期から第二次世界大戦の終末までの我が国の政治・外交の動き、中国などアジア諸国との関係、欧米諸国等の動きに着目させ、経済の混乱と社会問題の発生、軍部の台頭から戦争までの経過を理解させるとともに戦時下の国民の生活に着目させる。また、大戦が人類全体にいかに悲惨を及ぼしたかを理解させると、こういうことをやっております。このことは最近また特にしっかりやってきております。
さらには、社会科の中の歴史的分野というところの内容について、例えば「昭和初期から第二次世界大戦の終結までの我が国の政治・外交の動き、中国などアジア諸国との関係、欧米諸国の動きに着目させて、経済の混乱と社会問題の発生、軍部の台頭から戦争までの経過を理解させるとともに、戦時下の国民の生活に着目させる。また、大戦が人類全体に惨禍を及ぼしたことを理解させる。」というくだりがございます。
そういう中で、やはり変わらないものというのはあるんですが、もし有事のときというのは、やはり戦時下になりますと、わかりませんけれども、私の推測なんですが、戦時体制内閣、または政府ができて、これ以上の法律も出てくる可能性が十分あると、私は思っております。 そういう中で、この平時のときに備えあれば憂いなしという中で、私はこういうものが出てきたのではないかなというふうに思います。
「昭和初期から第二次世界大戦の終結までの我が国の政治、外交の動き、中国などアジア諸国との関係、欧米諸国との動きに着目させ、経済の混乱と社会問題の発生、軍部の台頭から戦争までの経過を理解させるとともに、戦時下の国民の生活に着目させる。
戦時下の18年には、藤相鉄道とともに、静岡鉄道と合併し、静岡鉄道中遠線となって、22年に藤相線とつながって、静岡鉄道駿遠線となり総延長は、藤枝・袋井間65.5キロとなって、この規格の鉄道としては、日本最長の軽便鉄道となり戦後の混乱期から30年代初めまで、駿遠線の最盛期であったそうでございます。
その申請書によりますと、「平和のための戦争展」は、一般市民を対象に9月11日から13日までの3日間、生涯学習センターの展示室で開催しようとするもので、戦時下の遺物、写真、図画などを展示して、これを市民に無料で公開することで悲惨だった戦争体験の風化を防ぐとともに、平和への世論を高め、あわせて憲法の重要性を考える機会にしたいというものでありました。
「昭和初期から第二次世界大戦の終結までの世界の動きと我が国の政治・外交の動き、中国などアジア諸国との関係を扱い、経済の混乱と社会問題の発生や軍部の台頭から戦争に至る経過を理解させるとともに、戦時下の国民の生活に着目させる。」